ねおめろどらまてぃっく

考えてることは、占術とか心理学とかポルノとか

自分らしくが大切

どうも、ねおめろです。

 

アドラー心理学を用いて、あれこれ自己啓発的なことを今までにたくさん話して来たんですが、何だかんだ言って、最も大切な価値観ってこれだと思います。

 

自分らしくいること

 

最も大切な価値観は自分らしくいることだと考えています。課題の分離や承認欲求の否定など、アドラー心理学にはたくさんの考え方がありますが、やっぱり、自分らしくいること、これが大事。

 

過去の記事に、自分らしさって何だ?と問いかけたものがありますが、その時に話したのは、自分らしくいる時は不快に思っていない時ということ。

 

自分が不快に思っていない時が、自分らしくいられている時ということです。これはあくまで僕の考え方です。

 

不快に思っていなければ、何でも良いんです。ぶっちゃけ。凄くシンプル。

 

あの人から褒められたい、子供に勉強させたい、一流の大学に行ってほしい…。そういうことを願って、それに基づいて行動している時に、自分が不快でなければ、それで良いんです。

 

自分が不快ではないんですから、自分らしくいられている証拠です。

 

褒められるために頑張ったり、勉強してほしいから勉強しなさいと言ったり、子供の進路を親が決めたり…。これらは、「承認欲求の否定」「課題の分離」から考えれば、真反対の行動です。

 

が、アドラー心理学では良くないと考える行動でも、自分らしくいられていると思えるなら、それで良いんじゃないかと思っています。

 

アドラー心理学をかじって、それに基づいて行動したとしても、当人が苦しかったり不快に思ってしまえば、良くないことです。

 

褒められるために頑張ってきたのに、急に称賛を求めないやり方で頑張ろうだなんて、正直無理です。

 

モチベーションの維持が難しくなります。称賛されることがモチベーションを維持していたんですから。

 

褒められるために頑張ることが、自分にとって不快でなく自分らしくいられていると思えるなら、無理に承認欲求を否定する必要はないです。

 

そもそも、生まれてからずっと八方美人で、褒められるために行動したり、嫌われないように同調したり、他人にお節介焼いたりで、それが正義だと考える習慣が日本人には根強いので、自分らしくって考えても、それ以外に何も思いつかない。

 

と考えれば、上に示したことこそが自分らしいっていうことです。

 

だから、無理して課題を分離したり、承認欲求を否定したり、期待しないようにしたりする必要はないのです。

 

今まで、アドラー心理学の「承認欲求の否定」「課題の分離」「嫌われる勇気」などに関して、いろいろ話してきましたが、無理して実行しなくて良いですよ。実行するかしないかは、自分の課題です。

 

もし将来、八方美人に疲れたり、嫌われないようにして疲れたり、期待するのに疲れたり、お節介焼くのに疲れたりしたなら、その時は自分が変わる時です。

 

恐らく、アドラー心理学の考え方を実行すれば、楽になるはずです。境界線がはっきりして自分の個が確立されて、本当の自分らしさが見えてきます。

 

とにもかくにも、自分らしくが大切です。自分が不快に思わない状態、これが自分らしくいられている時です。

 

では、このあたりで。またのご来訪ありがとうございました。 

配偶者はどんな人?

どうも、ねおめろです。

 

久々に占術の話。占術の話をすると、ちょいと専門的になってしまいますが、ご容赦を。

 

紫微斗数という占術で、配偶者のことを考えると、夫妻宮という宮で判断するということが、まぁ一般的なんですが、こういう場合になると、配偶者のことを夫妻宮で判断することができなくなります。

 

 

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上の図、命盤といいます。因みに僕のです。上の命盤で夫妻宮を見ると、太陽と天梁という文字があることに気づくと思います。

 

この太陽と天梁、欽天の紫微斗数では、男の星になります。MEN。

 

上の命盤のような、男で夫妻宮が男の星だけになっていると、夫妻宮で配偶者を考えることができなくなります。何故か。

 

理由は、女の星ではないから。さあ将来の結婚相手、探ってみようと思っても、女の星じゃなく男の星だから、探ろうと思ってもできないわけです。

 

じゃあ、自分の配偶者を知ることはできないんか?と半ば落ち込むところですが、そんなことはありません。

 

どこを見ればいいのかというと、いくつかあります。それは以下の通り。

 

・財帛宮

・遷移宮

・福徳宮

・官禄宮

・田宅宮

 

上の5つです。意外にある。それぞれ理由を話してみます。

 

・財帛宮…夫妻宮の夫妻宮という見方をして、婚姻後の生活を見ます。この宮に異性の星があれば、結婚後の生活がある、即ち、配偶者の姿が判ります。

 

・遷移宮-福徳宮…この2つは、夫妻宮の三合で、配偶者そのものも表します。それらの宮に異性の星があれば、それで判ります。

 

・官禄宮…夫妻宮の遷移宮という見方をして、配偶者の外面を見ます。福徳宮と遷移宮と同様、配偶者の姿を表すので、それで判ります。

 

・田宅宮…自分の家庭を見る宮なので、異性の星があれば、自分の家庭に異性がいる、即ち、配偶者の姿が判ります。

 

理由はこんなところです。田宅宮に関しては、単純に異性がいるというだけなので、配偶者じゃない可能性があります。

 

では、上の命盤で探ってみます。さっきの5つの宮を見ると、天同、巨門、文昌、文曲、太陰、破軍があることが分かると思います。

 

そのうち、天同と文昌は男の星なので、カット。さっきの5つの宮を見ると、4つも異性の星があるのです。

 

でも、4つもあって、どれが正解か分からない。そんな事態になります。そういう場合は、生年四化がついている星を取り上げます。

 

そうすると、化権の巨門、太陰の化科、破軍の化禄に絞られます。この3つで判断します。

 

巨門に化権がつくので、恐らく多弁でやり手な感じ。太陰の化科でしおらしく聡明でもありそうです。破軍で個人プレイ大好き。何か秀でた技芸があって、饒舌かもしれないです。ただ、化科が自化なので虚弱体質でもありそうです。

 

まとめると、個人プレイ大好きで才能豊かなよくしゃべるちょっと病気がちな女の子、ってところでしょうか。すげーキャラが濃いな…。

 

紫微斗数で、配偶者を探ろうとするには、こんな感じでやっていけば良いです。先に示した宮に生年四化がついた異性の星があることが条件です。

 

では、このあたりで。またのご来訪ありがとうございました。

喧嘩するほど仲が良い…訳がない

どうも、ねおめろです。

 

喧嘩するほど仲が良いなんて、喧嘩をあたかも悪くないみたいな言葉がありますが、そんな表現は不適切だと考えています。

 

喧嘩なんか何一つ良いことありません

 

喧嘩できるほど、自分を晒け出せるということから、仲が良いんだろうなと考えられているのですが、喧嘩すること自体にフォーカスをあてると、そんな悠長なこと言っていられません。

 

喧嘩すること自体の深層心理には、「相手を自分の意のままに操作したい」という欲求があります。

 

まぁ、支配欲というものです。相手を従わせようとする征服の欲望。

 

思い返してみてください。喧嘩している時。感情に委ねて、相手の行動を咎め自分のやり方を押し付けたり、相手の考え方を否定して人格さえも否定する言葉を吐いたりしていると思います。武力暴力で力任せになることもあるでしょう。

 

それらの行動の根源を考えると、自分の思い通りにしてくれないから、自分の理想になってくれないから、という独善的な欲求からくるものだと分かると思います。

 

個人の持つ自然な自尊心を簡単に傷付けて、個の確立や尊厳をなきものにする自分勝手な行動で、極端な表現になるでしょうが、人権侵害にあたります。

 

また、喧嘩に発展するというのは、互いの反発があって勃発するものです。

 

何故、反発するのかといえば、個人がそれぞれに持つ自尊心を傷付けられ、自己保身のために起こるのが理由。

 

要するに、相手の領域に踏み込んでいるということです。自分だって、縄張りを荒らされたら不快でしょう。同じことを相手にやっています。

 

それ故、喧嘩するほど仲が良いなどという表現は不適切だと考えられるのです。喧嘩すること自体あってはならない。

 

とは言いつつも、自分の思いを伝えたい欲求を完全に潰すなんてことはできませんから、もどかしい思いをすると思います。

 

それを解消する方法は簡単です。感情を捨てるだけ。考えを伝えることに感情は不必要。

 

思い通りにしたい、理想通りにしたいという欲求を持っているから、感情的になります。でも、それは自分の考えを伝えるという本質からずれています。

 

だから、そういう支配欲を意識的に捨てて、何かを伝えるということに集中すれば良いのです。

 

その後、その考えを受け取った側がどうするかは、受け取った側次第です。受け取った側の課題。

 

自分はその相手の課題に介入してはなりません。境界線をはっきり引くべきです。

 

喧嘩なんかしたって、何一つ良いことありません。仲が良いかどうかを知るのに喧嘩は要りません。

 

喧嘩は、自分の思いをただ一方的に押しつけ、相手の自尊心を傷付けていることを自覚しましょう。

 

では、このあたりで。またのご来訪ありがとうございました。

人は正しく理解できない

どうも、ねおめろです。

 

何度も話していると思いますが、人は誤解するものです。

 

誤解するものというより、正しく理解できないと言った方が正しいですね。目の前の事象や人、物に関して、ありのままに理解できないのです。

 

例えば、仕事の内容。毎日、準備と片付けばかりの雑用ばかりさせられて、実務的な仕事をできないことがあるとしましょう。

 

雑用ばかりしているので、仕事に不満が募ります。また明日も雑用だと、モチベーション維持が難しくなります。

 

“自分は何もできない奴だと思われている”と考えてしまって、モチベーション維持ができなくなるんですね。

 

でも、実際は上司にそう思われていることはなく、時間や人数の都合上、そうせざるを得ないことがあって、仕方なく雑用に回されてしまうこともよくあることです。

 

実際は、自分が考えていることと周囲が考えていることは、異なる。人は目の前の事象に関して、その通りに理解することができないのです。

 

何故、このような考えに齟齬が起こるのかというと、それは、人それぞれが持つ思い込みがそうさせるのが理由です。

 

人が生まれた瞬間からこれまでに生きてきた中で、出会ってきた人や習慣、見てきた物事によって、物事に対する見方や考え方が異なってきます。

 

人は、自分が経験によって得てきた考え方以外の考え方ができませんから、目の前に現れた事象を判断する時も、自分の考え方に沿って判断していきます。

 

自分の考え方に沿う見方でしか判断できないですから、それに執着してしまいます。自分の考え方こそ全てだという思い込みが、考え方や意見に齟齬が起こる原因となるのです。

 

先日、起きてしまった京アニの痛ましい火災事件も、このような思い込みによって引き起こされたものです。

 

“自分の小説がパクられた”というのは、自分の世界と他人の世界を同一視している証で、犯人のそれを信じて疑わない、自分の考えに執着する思い込みがそういう歪んだ人格を作り出したのです。

 

自分の内側には思い込みが必ず存在して、自分の考え方は自分の経験で作られて、他人にはそれがあてはまらないということを自覚しないと、ストレスや不幸感から解放されなくなります。

 

自分と他人の考え方や見方は異なるということを知ることが大事ですね。

 

では、このあたりで。またのご来訪ありがとうございました。

アポロ11号月面着陸から50年

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どうも、ねおめろです。

 

今回は、ポルノネタにします。上の画像は、昭仁さんが描いたアポロ月面着陸50周年記念のイラストです。とてもキュート。今日じゃないですが、昨日7月20日は、アポロ11号が月面着陸して丁度50年の記念すべき日でした。

 

事の始まりは、1961年のアメリカ。当時の大統領、ケネディが1960年代中に人を月へ到達させるという声明を出しました。これをアポロ計画と言います。

 

背景には、ソ連との冷戦があって、アイゼンハワー政権時に執り行われたマーキュリー計画がありました。ケネディは、選挙期間中に、宇宙開発やミサイル防衛分野においてソ連より優越することを公約にしていて、有人月面着陸こそアメリカの威信だということで、アポロ計画が練られた訳です。

 

事実、月面着陸は成功して、それは、1969年の7月20日に打ち上げられたアポロ11号によって、人は月に降り立つことができました。その歴史的成功から丁度50年が昨日だった訳です。

 

今回は、ポルノネタということで、アポロ計画の話はこれまでにして。今年は、ポルノファンならもちろんご存じ、テレビでも周知されている通り、ポルノグラフィティデビュー20周年です。

 

アポロは50年、ポルノは20年、そして、ポルノのデビューソングは「アポロ」。何たる偶然でしょうか。ポルノとアポロに繋がりを感じずにはいられないです。

 

ポルノがデビュー20年ということは、ポルノがデビューした当時は、アポロ月面着陸30年だったということです。

 

ポルノは常にアポロの記念日と共にあると考えても面白いですね。

 

誰かのためになる話ではなく、自分のポルノ愛の自己満足ってだけの回で申し訳ないですが、ポルノグラフィティとアポロには深い繋がりがある(?)ということが伝えられたかと思います。

 

“僕らはこの街がまだジャングルだった頃から 変わらない愛のかたち探してる”

 

良いフレーズです。理想の愛への強い追求を感じます。では、このあたりで。またのご来訪ありがとうございました。

承認欲求の否定がなかなかに

どうも、ねおめろです。

 

アドラー心理学の特徴的な考え方である「課題の分離」と「承認欲求の否定」。今回は、「承認欲求の否定」についてちょっと考えていたことを話そうかと思います。

 

課題の分離と承認欲求の否定、この2つが自らの考え方において習慣になれば、だいたいの悩みから解放される訳なんですが、「承認欲求の否定」を習慣づけることが最も難しいんではないかと思います。

 

理由は、人は褒められると嬉しくなって活力が出るということを、本能的にやっているから。褒められると嬉しいのは本能なんです。

 

誰しもが、大なり小なり褒められた経験があるはずですが、照れながら隠しながらも嬉しかった、そんな気持ちになったと思います。

 

それは、人は褒められると頭ん中で快楽に感じるからで、それは自分の意思ではなく、本能が褒められることを快楽に感じるようにしているのです。

 

それに従うと、褒められると生きる喜びになりやすく、それを糧に褒められるために行動していくようになります。

 

褒められたくて仕事を頑張って、褒められたくて勉強する、褒められたくてオシャレをして、褒められたくて奉仕する、そんな風に循環させて生きる喜びを感じていきます。

 

つまりは承認欲求を満たすために生きるようになるのです。

 

しかしながら、褒められるために行動する姿勢は、その他人からのレスポンスを求めるために、他人に依存してしまい、自分を主体にせず他人主体で行動するスタンスになってしまいます。

 

アドラー心理学では、そのような姿勢でいると、自分の手で幸福を得られず、自分の力で悩みから解放できなくなるので、その考え方を良くない習慣として見ています。

 

つまりは承認欲求の否定。承認欲求を否定することが、自らの手で悩みから解放して、自らの手で幸福を得られる考え方だと言っているのです。

 

承認欲求を満たすことが本能によるものであれば、それを覆すのは、容易ではありません。「寝たいという欲求があるのに、寝るな」と自分に言っているようなもので、苦痛が強いです。

 

それ故、「承認欲求の否定」を生活の習慣にしていくことは、一筋縄にはいかないと考えるのです。

 

Twitterを見ているとたくさんいます。RTやいいね稼ぎしたくて、つまりバズりたくて、面白い投稿やタメになる投稿している人。

 

それほど、人というのは承認欲求が強くて、本能的に習慣になっているということです。

 

アドラー心理学の勉強しているくせに、承認欲求の否定、自分はまだできていません。まだまだです。

 

では、このあたりで。またのご来訪ありがとうございました。

ハラスメントも結局は……

どうも、ねおめろです。

 

ハラスメント。なかなかな社会問題です。それについて、色々と思いを廻らせていまして、ふと思ったことなんですが。

 

ハラスメントも結局は、被害を受ける側次第なのかなぁって。

 

これを言うと、色々語弊があるんですが、結局は被害を受けた側の捉え方次第ってことです。

 

「容姿を褒められた」を一つとると、単純な人は単純に、褒められたんですから嬉しいと思うでしょう。気持ちが良いです。

 

でも、あれこれ考えてしまう人になると、下心あるんじゃないかとか、色々勘繰って、気持ち悪くなってしまう。

 

「容姿を褒められた」という事象について、単純な人は単純に嬉しいだけであり、あれこれ考えてしまう人はセクハラと捉えてしまうって感じで、受ける側の考え方次第でどっちにも転ぶ。

 

パワハラも同じで、暴言暴力を振るわれても、あっけらかんにしている人は、なんとも思わないなんてこともあります。

 

だから結局は、ハラスメントも受ける側次第なのかなぁって思っています。

 

つまりは、課題の所在が異なるということ。こちらが何かを発した時に、相手がどう捉えるかは相手の課題で、こちらがその課題を扱う必要はないということです。

 

と言っても、受け取る側次第だからといって、好き勝手放題に下品な言葉とか淫らな接触、殴ったり罵ったりして良いと考えてはならないです。それは、人間ではなくヒトという生物がやること。

 

人間である以上、言葉や行動は選ばないといけないです。あれこれ好き勝手放題やるのは、自律ができていない証です。

 

デカい脳ミソ持ってるなら、相手と自分の距離は考えないとねぇ。言葉の使い方も腕や足の使い方も、平和的にしないと、脳ミソの無駄遣いってことです。

 

被害を受ける側も、何かされたからといって、すぐにハラスメント呼ばわりするのは、それも頭のおかしな話です。

 

露骨に触ってきたり、淫らな接触をして来やがるなら、そりゃ対抗せなならないですが、褒め言葉とか視線が合うくらいなら、なんともないでしょう。殴られた訳でもなく淡々と注意されたくらいで、云々かんぬん喚く必要がないです。

 

つまりは、神経質になりすぎということ。どれだけ怯えているんだろうということです。

 

とにもかくにも、相手と自分の距離の取り方はとても大切ということです。セクハラもパワハラも、その他のハラスメントも、相手への過剰干渉が原因。相手は変えられないもの。そう割り切って、平和でいられることを考えましょう。

 

では、このあたりで。またのご来訪ありがとうございました。